松阪 朝田寺の掛衣(ちょうでんじのかけえ)

文責:ビッキさん

 

「 わしが死んだら 朝田の地蔵へ 掛けておくれよ 振袖を 」

 

これは、江戸時代、元禄のころの歌です。葬儀が終わると、衣服を奉納して亡くなった方を供養する習慣が、元禄のころには既にあったそうです。毎年、8月23日の夜、遺族の手によって“衣類のお焚き上げ”が行われ、本堂に飾ってあった衣類が全て降ろされます。また、次の日から新しい仏様の衣服が本堂に掛けられていくことになります。

 

 

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私が行ったのは、昨年の8月22日でした。このような習慣を聞いたのは初めてで、“衣服に人格を重ねる”ということが普通に生活の中で行われていることに驚きました。

「3~400枚はあるでしょう。」と住職さんは言われていましたが、新盆を迎える方々の人生と、その方たちを送る遺された人たちの思いに圧倒され、涙がこぼれてきました。

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昔の庶民は、一生のうちにそう何枚も、衣服、特に“晴れ着”を持つことはなかったと思います。自分で作るにも、人に作ってもらうにも、時間もお金もかかり、1枚1枚の衣服を手入れしながら大事に着ていたのだと思います。

「古着が価値があった時代には、これらの衣服も、お寺の重要な収入源になっていたようです。」(住職さん)

衣服が安く使い捨てにされるようになっても、このような習慣が続いていて、衣服を大事にし、人を大事にする人々は、昔と変わらず存在することを目の当たりにして、ヒトとモノとの関係についての考えを新たにしました。            

  

http://chodenji.jp/

 

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